別無工夫

e0095750_9534346.jpg今、家内の実家の京都にいます。

京都にいるのですが、あっちこっちと観光するでもなく
平穏なGWを過ごしています。

とは、いっても
多少は京都とその文化や歴史に触れて学ぼうと、
昨日は相国寺承天閣美術館に行った。

さすがにGWの京都は人が出て混雑しているが、ここは静かでした。

相国寺や承天閣は以前から何度も来ている場所なのですが、とてもお気に入りである。
所蔵品のレベルも高く、施設も極めて充実している。

所蔵品には、僕の好きな 若冲 等もあり、
何度来ても楽しめる。

今回、自分の心に響いたのは、以下の墨蹟で、
相国寺を開山した夢窓疎石の言葉で、書も夢窓国師によるもの。

以前に来たときもあったのだろうが、まったく記憶に残らなかった。


別無工夫 (別に工夫なし)

工夫とは、禅宗では修行に励むこと。また、よく考え研究することを意味している。


e0095750_9451655.jpg別無工夫 (別に工夫なし)は、特別な工夫は無いとの意

日々、各人がそれぞれ自分に与えられた場所や状況で、その瞬間瞬間を真剣にものごとに取り組むこと、それがそのまま修行なのだ。
特別な工夫(修行)などは無い。

修行には、何もとりたててこうでなければならないというような一定の決まりは無い。その場その場が道なのだ。

一時一時を大切にし、完全燃焼して生き切っている者は、瞬間瞬間が工夫に満ちているので、特別な工夫など無いということ。


また、調べるとこんな言葉にも行き当たった。

“今日出来る事を明日に延ばさなければ、如何なる日でも日常である”

日々すべきことを行い、計画性をもってすべきことを先延ばしにしなければ、
締め切り仕事やその期日に翻弄される様な非日常的な状況にはならない。
如何なる日でも“日常”である”


この言葉を心に刻み、意識していこうと思います。


ありしまつねおは今日も幸せなり・・・
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by Arishima_T | 2009-05-03 09:48 | ありしまの1コマ日記


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